漱石への心酔 




『心(こころ)』という衝撃 


 子ども時代、“本の虫”になる素養があると言い切れるくらいには、たくさんの本を読んでいました。だから、『坊ちゃん』など、小学生への推薦図書にもなっていた作品は、実に小学生時代に読んでいたと記憶しています。そしてそれは、小学生の私にとっても確かにおもしろいものでありました。でも、だからと言って、漱石に固執するほどの感動があったわけでは、決してなかったのです。

 『心(こころ)』という作品に出会ったのは、中学1年生の時。確か、当時通っていた学習塾の先生が、“読んでみたらいい本”として推薦してくれた中の1冊だったと思います。
 そして、この本が、私の人生に多大な影響を与えることになったのでした。

 些細なきっかけから世の中を斜に見、必死で背伸びをしている子どもだった私にとって、このタイミングでこの作品に出会ったことが、果たして吉であったのか凶であったのか。それは、今の時点ではなんとも評することができません。でも、この作品を読んだ時に私が感じた衝撃は、それまでの何を見、何を読んだ時よりも大きかったことは確かです。

 言わずもがなですが、この作品は、とてもよくできた作品です。『先生と私』『両親と私』『先生と遺書』の3部で構成され、『先生と私』における語り手と先生の交流、『両親と私』での語り手の思いが、最後の『先生と遺書』で語られる告白に、より強い意味を盛り込んでいきます。

 感銘を受けた人間にとっては、たった1章分抜けても意味の薄れる話だと思うのですが・・・なぜ、教科書っていうものでは、ああいう、脈絡のない切り取り方で中途半端に掲載されるんでしょうね。前後の流れをぶった切ってクライマックスの一瞬だけを読んで理解できるほど、文学作品というものは、軽くないと思うのですが。

 話はそれましたが、この実によくできた、思索に富んだ作品は、大きな衝撃でした。第一部『先生と私』の中で何度も何度も語られる、「私は寂しい人間です」という台詞。そこから終焉まで描かれ続ける、人への懐かしみと己への執着。善人と悪人が共存する、人というものの姿とはかなさ、人という存在への思い・・・。

 「こんなものが書けるのならば、一生をかけても無駄じゃない」とまで思うほど、当時の私は逆上せ上がっていました。その思いを書き表すことは難しいですが、今も、作品を読むたび、その強い感慨がよみがえります。
 漱石をやろう、と決めて国文学科に進んだのも、文章を書く仕事に携わりたいと思ったのも、自然な流れでした。

 漱石に心酔して、スタートしたと言えないこともない、今の私。いつか・・・人の心を扱うようなものを・・・手がけることができるのだろうか。
 そんなことを、思っています。






「テーマ語り」へ戻る     
inserted by FC2 system